
対人恐怖症は自意識の暴走、過剰
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自意識を発達段階におうじて成長できないと、未熟なまま
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未熟な自意識が原因で対人恐怖症を発症する
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ひどくなると発達・人格障害になり、恐怖症を悪化させる
重度の恐怖の根本にあるもの
怖がらなくてもいい場面で、恐怖を引き起こしてしまう理由はなんなのか・・・。医者や、一般の見解としては「自意識の過剰」と言われていますよね。「だからそれは聞き飽きた」と感じた人も多いでしょうが、これこそ重要なことであり、見逃しがちな答えです。
例えば勉強ができるようになりたいとしても、勉強は毎日続けることが重要と耳にタコができるほど言われているのに、多くの人は他にもっといい答えを探そうとして毎日続けることがなかなかできません。それと同じで本当は、答えはとっても無難なんです。さて、恐怖症の人の心理は大体こんな感じではないですか?
周りの目が気になる。
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嫌われることは忍びない。
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周りの評価に怯えている。
とはいえ、なぜ自意識過剰になっているのか。なぜ周りの反応を気にしなくてはならないようになっているのか。それを知らなければ根本の解決にはなりません。
人格(自意識・自我)の成り立ち
自我や自意識の形成は、実は簡単なことではありません。
人間は何もせずとも自然に大人になっているように見えますが、コツコツと成長を積み立てた賜物であって、これができない人はどこかの段階でうまくいかなくなっていきます。
段階を踏んで一つ一つ発達し成長しないと、精神は成熟できないんです。
最近よく聞く「大人になれない子供」「責任感のない新卒」などは、段階を踏むのを失敗した障害です。
子供のうちは許されても、大人になってからは世間から冷たい目で見られてしまいます。(大人にもなって、って思いますからね)
しかし本人はそれを世間のせいだと思い込み、自分の責任は全く考えません。
これは思春期に乗り越えるべき段階を乗り越えずに未熟なまま体だけ大人になったからです。

個人の責任も大いにありますが、親がまともな教育やしつけができなかったしわ寄せが、子供にいっている可能性もあります。(子供を育てるときは慎重に)
対人恐怖症も、自我の形成に失敗している可能性がありますから、一度この「精神の成長不良」について考えてみましょう。
「人格を形成するために必要な段階」
中学生で反抗するようになるのは、自己のあり方について考える時期だから。
ここでうまく精神の整理がつかなかったり、未熟なままで満足してしまった人は、高校で踏むべき段階も踏めないまま子供の思考を引きずり続け、やがて世間一般でいう「中二病」になる。
(参考:子供の発達段階に応じた支援の必要性)
たとえそうであっても問題ないまま生活できる人もいますし、逆に対人恐怖症を発症したりと自分の生活が辛いものなってしまう人もいますが・・・。
恐怖症とは成長の失敗で発生すると考えられるので、自分に足りなかった成長をもう一度やり直すことが解決への確実な一歩になると思います。
なぜ自我と対人恐怖症が関係あるのかと思う人もいるかもしれません。
自我とは自意識でもあり、そして最初に述べたように対人恐怖症とは自意識の暴走です。
健常に育った人は自意識が確立できていて、他人という存在への認識も正常(無闇に敵対しない、怯えないなど)ですので周りとの距離感も適切にとることができます。
しかしどこかの段階で成長に失敗して、自意識をうまく育めなかった人は違います。

そういう人はいつか、間違いなく正しい自意識の持ち方がわからずに困惑しますね。しかもその原因が発達不良にあるとは夢にも思わないので、さらに混乱します。(生来の性格の場合ももちろんあります)
そして、自分と他人の認識への客観性を失い、対人恐怖症になる・・・。
自意識過剰=自己愛の膨張
「自意識の過剰」は「自己愛の膨張」でもある、という意見もあるようです。
自己愛というのは、ここでは自惚れを指します。
カチンときた人もいるかもしれません。
自分が自惚れているならこんな恐怖を感じるはずがないと、私も以前思っていました。
そうやって時が経ち、ことあるごとに「恐怖症」を理由に失敗しました。せっかくの約束も、恐怖症が怖くて直前でドタキャンしてしまうことが何度もありました。いい加減に自分の異常さに気づいてきていて、失敗する原因を探さなくてはとまた奮闘しました。
そしてようやくある結論に達します。
恐怖症というのは、自我がうまく発達していないことにより発症した、「自己愛(自我)を無意識に暴走させる障害」が根本にあるかもしれないということ。
もしかすると自分は「自己愛性人格障害」なのかもしれないということ。(勝手な推測は危険ですので、正式に自分の病名を知るには心療内科を訪ねてください)
軽度の恐怖症の人は発達・人格障害とまではいかなくとも、その性質を持っている可能性があります。それを暴走させると人格障害になってしまいます。どちらも 自意識の暴走があります。
恐怖症と障害の関係
正しい図ではないかもしれませんが、おおよそ私が考えた関係を下に載せます。

<精神疾患>
不安障害
:社会不安障害(=社会恐怖症)
・発達障害
・人格障害
:恐怖症 (対人恐怖症)
・社会不安障害{
発達障害:アスペルガー症候群、AHDH、吃音など
人格障害:回避性、自己愛性、境界性など
・恐怖症{
対人恐怖症:おなら恐怖、唾液恐怖、視線恐怖など
(参考:主な心の病気と症状 。他の障害、恐怖症については省略しているものもあります)
恐怖症の元をたどればたくさんの障害が見つかりますが、大きな分野になるほど定義と解決策が「曖昧」になっていくので、ここでは発達障害と人格障害 に焦点を絞ります。
重度の恐怖症の元:不安障害に含まれる「発達障害と人格障害」
ひとえに恐怖症といっても生い立ち、性格など千差万別ですから、これらの障害に当てはまらない場合もあるので、過信はせずに仮定として考えてください。
人格障害:
大多数の人とは違う反応や行動をすることで本人が苦しんでいたり、周りが困っているケースに診断される精神疾患。他の精神疾患を引き起こす性質があります。パーソナリティ障害と合併したほかの精神疾患が前面に出ることが多いので、パーソナリティ障害は背後から悪影響を及ぼす黒幕のような病気だということができます。
考えられる障害 「躁うつ」「自己愛性人格障害」など
発達障害:
生まれつき脳の発達が通常と違っているために、幼児のうちから症状が現れ、通常の育児ではうまくいかないことがあります。発達障害は「先天的なハンディキャップ」ではなく、「一生発達しない」のでもありません。発達の仕方が通常の子どもと異なっていますが、支援のあり方によって、それがハンディキャップとなるのかどうかが決まるといえます。
考えられる障害「アスペルガー症候群」「ADHD(注意欠陥、多動症)」など
さらに、発達障害にはこういう記述もあります。
発達障害とトラウマには密接な関係がある。虐待・いきすぎたしつけなどによって生じるトラウマは、発達障害の「増悪因子」となり、発達障害を重篤化させる。
(引用: wikipedia)十人十色の理由といきさつがあると思うので、それぞれの正しい「原因」は、慎重に見極めなければなりません。
恐怖症が長引いて人が怖くなってしまったという人は、発達障害と人格障害のどちらかには該当するんじゃないかと思います。あるいはどちらにも該当しているかもしれません。 より正確な判断には病院に行くのが望ましいですが
『自分を変えたい人 自分で直したい人のためのページ』
を閲覧することをお勧めします。
ここで、これまでのわたしの考えの流れの変化をまとめます。
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人と会わなくなる(恐怖症で嫌われたくない!)
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原因を探す(なんでこうなった?)
↓
人格障害かもしれない!
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厳しい躾をした親のせいにする。
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人のせいにするのは人格障害だと知る。
↓
人のせいにするのを一旦やめる。
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人格の形成を失敗したことを知る。
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自分の考えの歪みを知って驚愕する。
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自分のわがままだったことをしみじみと感じる。
↓
自分の責任を感じる。
こうしてわたしの認識の歪みは少しずつほぐれていきました。
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